日 時 2016年11月9日(水) 午後1時30分~3時
場 所 横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ 4階「浜風」
講 師 日産自動車㈱取締役副会長 志賀 俊之 氏
▽日産は、バブル経済崩壊後は負債が増え、1992年にオーストラリアの現地生産から撤退、95年に座間工場を閉鎖し、98年には東銀座の本社ビルを売却した。それでも99年には倒産寸前になった。私が入社した76年当時のシェアはトヨタとほぼ同じだった。
▽仏ルノーから99年に迎えたカルロス・ゴーン現社長兼最高経営責任者(CEO)は、日産リバイバルプラン(NRP)立案に向け、機能横断型の九つのチームを結成した。プランはトップダウンではなくボトムアップされたもので、従業員はやり遂げなければいけなかった。それがV字回復につながった。99年に250万台だったグローバル販売台数は、2016年は560万台になりそうだ。
▽チェンジ・リーダーとしてのゴーン社長は、NRPで国内5工場を閉鎖した翌年には米国に新工場を建設することを決め、痛みを伴う改革と将来の成長戦略を並行して推進した。リーマン・ショックでは、いち早くキャッシュの確保、利益の改善を実行した。後追い後追いではなく先手先手で策をつくる。変革マネージメントの一つだ。
▽日産はハイブリッド車(HV)ではなく電気自動車(EV)という戦略をとった。EVは日産が最も売れている。あえて新しいところに挑戦するのも変革マネージメント。自動運転技術も他社に先駆けて開発している。危険を回避するコンピューターの判断は人間より100倍速く安全だ。今年8月、単一レーンを前の車を認識しながら自動運転する乗用車を発売した。